澤俳句会web

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11月号/小澤實十五句

  • 磊 塊 あ り や

    夏薊吹かれどほしや摩天崖

    やまゆりの吹きたふれ咲き草の中

    わたつみへわが夏帽子飛ばすまじ

    一万六千の烏賊ひろひけり警官は

    むすめらが結ひたる茅の輪くぐりけり

    達谷忌隠岐に楸邨語るべし

    わが胸に磊塊ありや楸邨忌

  • 楸邨に会へず畢んぬ額の花

    稲妻や島の友注ぎ島の酒

    皮目ほのあからめるなりいさき刺身

    身も肝も粗粗切りの栄螺かな

    夜光虫呆け見るなり酔ひはてて

    わだなかを夜光虫ジグザグ走り

    牛乳の濃き一杯や湾は夏

    ルソーの森にきみとあそばん露の中

11月号/澤四十句/小澤實選

  • 風に飛ぶ君の夏帽跳びてつかむ
    小川秀樹
    漱石は子規より小柄石蕗の花
    佐藤昭子
    弟と犬埋めに行く花野かな
    小日向美春
    枯葉ひつかかりエスカレーター最上段
    石橋志野
    片膝に片乳ひしやげ髪洗ふ
    長谷川照子
    緑蔭に座し聞く被爆体験談
    望月とし江
    伊香保ろの物聞山よ栗たわわ
    野崎海芋
    肥後茄子の我が腕よりも長きを採る
    森下秋露
    水入りコップ並べ踊の連に従き
    高橋博子
    ライオンの座せる偽岩やヒーター入り
    嶋田恵一
    曝したる兄の素描画モデルは母
    大谷景子
    花瓶にどさと挿す向日葵や全方位向き
    岩岡加江子
    夏期ラジオ体操出でずも届く参加賞
    宮崎玲子
    新涼の朝の緑茶やマグカップ
    篠崎弥生
    映写機にパーフォレーションかませ夏
    遠藤ちひろ
    抱擁の彼方いちめん鱗雲
    あいのいと
    何もせずすべて酷暑を言い訳に
    藤田敏弘
    トレッドミルをひたすら歩く夜業あと
    矢嶌俊缶
    付け睫毛の糊乾かす車中携帯扇風機もて
    市川真冬
    フライパンに並めし白茄子透明化
    千葉典子
  • 枝豆の空莢も吸ふ塩気良し
    吉村たまみ
    麻酔医の声遠くなる花野かな
    山口土器
    秋苑に籠球の祖母袴履き
    町田無鹿
    母の日や巨船のところどころ錆び
    中村敏彦
    先生私に電波を送らないで下さい彼岸花
    新村秀人
    頭部出血意識不明発見男性は父よ秋暑し
    相澤美穂
    古窯発掘灼け土を掃きに掃き
    おきのきらら
    読了のガ島戦記や秋灼くる
    大竹安子
    鼻上げの波紋そこここ秋暑き
    蘆立角翠
    扇風機のうつむき回る祖母の部屋
    吉川千早
    夕日ヶ浦の浜辺あるける浴衣かな
    松川みゆき
    Google Earthに見入るガザの地熱帯夜
    鶴見澄子
    経塚に盗掘坑や蔦紅葉
    中山雅弘
    落ち無花果に雀蜂の頭埋め喰らふ
    峰尾麻紀子
    炎熱や藻と引き揚ぐる紫電改
    岡本竜旺
    うしろから来るハクビシン月の道
    小村勝子
    ストローを包む薄紙鶏頭花
    酒井拓夢
    残る蚊の金属音を放ちくる
    星野れい子
    初鵙の声のあかるき朝餉かな
    牧野尚幸
    駐車係の太き水筒花カンナ
    瀨戸山海月

11月号/選後独言/小澤實・友情の文学

  • 風に飛ぶ君の夏帽跳びてつかむ
    小川秀樹

    風に飛んでしまっている君の夏帽子を、とっさに跳びあがってつかみとったことだ。
    強い風の中にいる二人である。主体の即座の行動がまことにあざやか。「君」がどういう存在かはわからないが、その行動に主体が、常に気を配っている存在らしいことはわかる。君の夏帽子が風に飛ばされるかもしれない、とどこかで待機する気持もあったかもしれない。
    「飛ぶ」と「跳び」の書き分けが適切。「跳びてつかむ」の下六の字余りも、つかめたことをあらためて確かめているようで、わるくない。動詞を三つ用いてもゆるみはない。「つかむ」が三つの動詞の中心になっているからだろう。この夏帽子、すぐには「君」に戻したくない。また、すぐにも飛ばしてしまいそうだから。

  • 漱石は子規より小柄石蕗の花
    佐藤昭子

    漱石の体格は子規よりも小柄だった、庭に石蕗の花が咲きだしている。
    子規と漱石の友情は、知るかぎり近代日本でもっとも有名なものだろう。そのふたりの体格の比較が新鮮だった。そして、漱石が子規に比べて小柄であることに驚いた。文豪然とした髭の写真を見慣れていたので、小柄とは思えなかったところがある。留学先のロンドンでひとびとと打ちとけることができなかったのも、その体格が関わっているかもしれない。句にふたりが登場しているので、ふたりがともにしばらく過ごした松山の愚陀佛庵を思った。
    取り合わせた「石蕗の花」もその庭に咲いていそうだ。季語に漱石の「石」と同じ字が用いられている。原則的には同じ字は避けたほうがいいが、このふたつの「石」は、庭の飛び石を思わせもする。

  • 弟と犬埋めに行く花野かな
    小日向美春

    飼っていた犬が死んだ、弟とともにその犬を埋葬しに行く花野であるなあ。
    犬の連作四句がよくできていた。花野をさ迷っていた犬をひろって帰り、長年ともに過ごした。その犬が死んだので、また花野に葬りに行っているのだ。句会での作者の話によると、どうもフィクションではないらしい。「埋めに行く」という飾らない即物的表現がいい。主体は犬を抱き、弟はスコップをかついでいるか。花野が命を与え、また返しに行く場所になっている。

  • 枯葉ひつかかりエスカレーター最上段
    石橋志野

    枯葉がひっかかっている、エスカレーター最上段であることよ。
    屋外設置のエスカレーターで、冬が来るとこういう景をよく見る。エスカレーター全面に落ちた枯葉が、持ち上げられてきて、最上段で行き所なく、たまっているのだ。この枯葉は一枚だけではない、複数あるはずだ。kの音、rの音が繰り返し現れて、小さな音を立て続けている枯葉そのものを感じさせている。まことに些事であるが、作者はこの枯葉に自分自身を重ね合わせているのかもしれない。その重みもこの枯葉に味わう。

  • 映写機にパーフォレーションかませ夏
    遠藤ちひろ

    「パーフォレーション」とは、映画や写真のフィルムを送るために、フィルムの縁に一定の間隔で開けられている穴のことである。映写機にフィルムのパーフォレーションをかませて、映画を映しはじめようとしている、夏だ。
    「パーフォレーション」なることばを知らなかった。このことばを使った、おそらく初めての俳句ではないか。パーフォレーションという穴に映写機の出っ張った部分をはめることで映写を始めようとしている。「かませ」という動詞で手慣れた感じがよく出ている。指先を繊細にはたらかせる触覚の句であるのがいい。どんな映画が始まるのか、どきどきと期待する思いも「夏」という季節にふさわしい。

  • 枝豆の空莢も吸ふ塩気良し
    吉村たまみ

    枝豆を食べた後の空莢までも吸っている、塩気がいい感じなのだ。
    「空莢」といっても、しばらく放置したものではありえない。枝豆の中身を押し出して食べた直後に、余韻として空莢の塩気をちょっと楽しんでいるのだ。季語「枝豆」は取り合わせを試みてもいいが、まず一物仕立ての季語だろう。そして、一物で新しみを出すのが、かなりむつかしい季語である。そういうある意味難季語で、ささやかながら新しい場所に踏み出しえている。

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